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駐日イスラエル大使とのインタビュー

駐日イスラエル大使とのインタビュー

当社のYouTubeシリーズ「Mission Japan」に、ヤッファ・ベンアリ駐日イスラエル大使がお越しくださいました。イスラエルは、東京で最初に大使館を設立した中東の国で、多くの人々が日本語に親しんでいる国です。そんなイスラエルの歴史や外交、ビジネスや科学技術について、ベンアリ大使にご紹介いただきました。

インタビューの全文は下記をご覧ください。

(注:インタビュー内の情報は撮影時の2019年上旬のものです。あらかじめご了承ください。)

*日本語の字幕あり

駐日イスラエル大使とのインタビュー

ティモシー・ラングリー(以下「ティモシー」): Mission Japanへようこそ!このシリーズでは、日本の様々な大使館について話します。大使館の所在地の変移、大使館の土地の歴史、今後の大使館と日本の関係に焦点をあてます。本日のゲストはイスラエル国のヤッファ・ベンアリ大使です。ご出演に感謝いたします。

ヤッファ・ベンアリ大使(以下「ベンアリ大使」): こちらこそ。

ティモシー: ここまでいらっしゃるのは遠かったでしょう、600ヤード?

ベンアリ大使: そうですね。

ティモシー: 大使館は二番町にありますよね?何年くらいこちらにあるのでしょうか?

ベンアリ大使: そうですね、約50年です。

ティモシー: すると日本とイスラエルの関係は1952年に始まったのですね。しかし、その10〜15年後まで大使館はなかったですよね?

ベンアリ大使: ちょうど10年です。1963年に、日本とイスラエルの代表施設は大使館レベルにアップグレードされました。

ティモシー: イスラエルは、最近になって国家となり、1952年に公使館を設立し、1952年から1963年で両国は外交文書に署名しました。日本がテルアビブに大使館を開設したのと同時期ですか?

ベンアリ大使: 正確にはそうではありません。正式な外交関係は1952年5月15日に始まりました。日本の外務大臣がイスラエルの外交要求を承認した時です。日本が(米国の占領から)完全に独立した2週間後の1952年5月15日でした。イスラエルは東京で最初に大使館を設立した中東の国でした。

ティモシー: それは素晴らしい。

ベンアリ大使: そして日本はイスラエルで同じことをしました。初めてアジアの国としてイスラエルとしっかりとした外交関係を持ちました。

ティモシー: なぜでしょうか?関係の基盤は何ですか?ユダヤ人と日本人には、長い歴史をさかのぼると、奇妙な関係があると存じていますが。

ベンアリ大使: 奇妙という言葉は好きではありません。面白いと言いましょう。

ティモシー: ああ、わかりました。

ベンアリ大使: 日本とイスラエルには魅力的な類似点と相違点があります。そして、両国が一緒になると未来を豊かにします。これについては後で説明しますが、過去を表していると言えます。ユダヤ人と日本人は過去に関係がありました。

ティモシー: 国家樹立の前ですよね?

ベンアリ大使: その通りです。政治的にもサンレーモに遡ると言うべきです。イギリス委任統治領ができた時です。統治領がユダヤ人が故郷に戻るのを許可し、ユダヤ人自身の国家を樹立するのを支持していた当時の日本の外務大臣のおかげです。

ティモシー: 香港、上海、そして日本の一部にユダヤ人が移住した経験があったからでしょうか?

ベンアリ大使: それはずっと後のことですが、ユダヤ人国家の全歴史についてはお話を控えます。なぜなら皆さんはすでに、ユダヤ人が2,000年間世界中に分散したのをご存知でしょうから。歴史上で唯一の出来事だと思います。同じ国が長い期間の後また一つになりましたから。ユダヤ人と日本人は、国の意思と、強い意志に関して似ていると思います。なので、日本人は私たちの強い意志と民族自決に共感するのではないかと思います。自分の国家を持つということです。しかし支援を受けた当時、20年後に、第二次世界大戦が起こります。日本がナチスドイツに加わったにもかかわらず、杉原千畝さんのおかげで、何千人ものユダヤ人がナチスドイツ支配下のリトアニアにあるコブノから脱出できました。そして日本に安息の地を見つけました。第二次世界大戦やホロコーストの際、何千人ものユダヤ人が救われました。そしてユダヤ人は神戸で安息の地を見つけました。後に、日本の占領下で神戸から上海に移っても、彼らの命は救われました。私たちは日本とイスラエルの歴史に対してよい印象を持っています。

ティモシー: 1902年の日露戦争の時もユダヤ人銀行員が途方もない金額を日本のために寄付しました。彼は日本のやろうとしていることを信じていました。彼の気前の良さもあり、日本は想像つかないこともできました。

ベンアリ大使: えぇ、彼の米国の銀行からの資金は、当時対ロシアの戦争に勝つため、日本にとって大きな助けとなりました。また、ユダヤ人がロシアで苦しんだ迫害の問題もありました。したがって、それは利害の一致でしたが、その助けは確かに歓迎されました。

ティモシー: 両国を繋げるものは何でしょうか?心理学者も調べたでしょうが、これはとても特別な関係です。両国の関係は、日本が石油を渇望し、下した決断で、どこか冷え切ってしまいました。それにもかかわらず、ネガティブな要素を打ち消すような親和性があります。何と言いましょうか。

ベンアリ大使: まぁ私は心理学者ではありませんし、その観点から両国の関係の分析はしないですが、外交官として、そして以前外務省の経済部門のトップとしてイスラエルの対外経済関係の促進のために働いた経験から申し上げると、今日の外交は基本的に隣り合った多くのセクターに依存しています。共感だけではないのです。戦争をするため合意していた200年前の栄光の時代のような軍事・防衛問題だけではありません。今日では更に文化的、おそらく心理的でしょうが、経済利益が多くです。それら全部を組み合わせる必要があります。そして確かに、多くの利益が関係しています。66年間の日本とイスラエルの関係にはなかったですが、これから両国の関係の浮き沈みがあるでしょう。経済利益からの意思決定プロセスへの一種の後退としてですが。確かに、最初の20年間はよかったです。ゆっくりと発展しました。時が経つにつれて、両国の経済は飛躍しました。たぶん50〜60年代、日本の経済はイスラエルよりはるかに良くなりました。しかし、イスラエルにとってもそれはUターン型の発展であり、新たな移民の受け入れと防衛に関する問題に、素早くサポートを得ることに繋がりました。間違いなく私たちは多くの課題を抱えていましたが、それでも輸入メインの経済を輸出メインまで発展させました。そして社会主義的な経済哲学を資本主義へ、民営化へと変えて、産業は繁栄し始めました。それでも、国は小さく、最近まで天然資源はありませんでした。新たな発展がありますが、私たちの主な資源は人材です。人の力です。そして確実にもう一つ、日本と共通している事があります。日本は周辺国と比べたら小さいですが人材を主要な資源としている大きな国でもあります。人の力です。したがって、基本的に私たちと同じように教育、工学、技術、神経学、科学、そして科学への投資に非常に価値を置いています。また日本は、ノーベル賞受賞者が25人おり、アジアでトップです。イスラエルは12人だけです。しかし人口比では、イスラエルの方がはるかに割合が高いです。大事なのは、両国が知識、技術、科学の発展を重視していることです。ですので、両国は似つかわしく、競合してはいません。互いに補完し合っています。特に経済に関しては、日本は戦後すぐの20年以内に世界第2位の経済に発展しました。イスラエルは非常に強い経済を持つ国として奇跡的に発展するのに、約40年かかりました。もちろん、日本には程遠いです。

ティモシー: 経済を発展させている間も敵に囲まれている中で軍備を発展させ、軍を率いる必要があるので、イスラエルの経済成長は多少制限されていますよね。

ベンアリ大使: そうですが、それにもかかわらず、関係の浮き沈みはあるものです。最初の10年間は普通に関係が発展し、そしては両国の代表施設は大使館になりました。ご存知の通り両国の代表の訪問などがありましたが、協定はありませんでした。それから67年後、特に1973年のアラブのボイコット、石油危機が起こりましたが、いくつか他国と違い、日本はイスラエルとの関係を保ちました。しかしそういった意味では、1973年から20年間、1992年までと言いましょうか、実質貿易、投資、あらゆる経済発展で関係にはかなり空白がありました。私は80年代に日本車のスバルを所有していましたが、それがイスラエルで唯一の日本車で、フジという会社だけが販売していました。90年代、93年か92年には、状況には一変しました。トヨタがやってきて、今日ではイスラエルの自動車の大部分が日本産です。これが変化でした。つまり、最初の20年間が通常の発展とすると、その20年後は経済的な理由で崩壊しています。それからボイコットがありました。それは空白の期間です。40年前の1979年から、エジプトとイスラエルはすでに平和的関係を保っていたからです。ベルリンの壁の崩壊後、突然中国など多くの国はイスラエルとの関係を構築し、中国はイスラエルとの関係を急速に発展させました。当時の日本は、自分たちが失うものがあると気づいたと思います。そして経済関係の発展が始まったのです。協定は90年代に締結しました。積極的な発展が始まったばかりで、百ドル規模から始まり、何百ドル、何百万ドル規模に発展し、イスラエルの対日輸出の70%がダイヤモンドでした。そしてイスラエルのダイヤモンド輸出比は、当時の日本の全体輸入率の約29%を占めました。1993年には貿易の全体量が20億ドル規模になり、目に見えて飛躍しました。20年後にはまた異なる変化があるでしょう。それはさらに前向きな変化で、特に話題にできますね。

ティモシー: イスラエルで今起きている事、そして知識層ではなく国民全体の教育レベルの向上と、イスラエル人が『本の人』であることを考えれば、その変化はただの前兆です。イスラエル人は学んでいます。彼らの文化は学ぶことです。そして、スタートアップが多くあること、暗号学での新しいアイデア、こういったイスラエル人にしかできない素晴らしいことの全てで私達が期待できる活躍があります。数多く技術面で優位にたてる事があります。

ベンアリ大使: 基本的に、イスラエルは今日非常にリーダー的存在です。特にイノベーションについては。控えめに申し上げても、イスラエルがイノベーションで専門知識持っていない分野はないのです。大地も宇宙まで知っています。イスラエルでは非常に発達した科学は農業のためだと考えていましたが、農業の革新は1950年代に始まりました。エネルギー分野では、太陽エネルギーが1950年代に発展しました水管理は1960年代に発展しました。イスラエルの革新的なプロセスは、国家樹立以前から始まっていますが、実際には、人々の心の中で挑戦意欲がさらに高まったので、国家樹立の直後に再生されました。しかし1990年代に、政府は、イノベーションを起こしやすい環境づくりの促進、インキュベーターの製造に尽力し、国外には24の競合がいました。なので私たちは多くの人が理解し見習いたくなる非常に面白い取り組みをしました。後に民営化とイスラエルので1990年代に起こった経済成長を通し、特にサイバーセキュリティ、インターネットのイノベーションに関する事で今日のように注目されるようになりました。なので、すべてが一体化していてサイバーテロを受ける可能性があります。サイバーセキュリティは、インフラや自律走行車など、全てのもので非常に重要です。そしてまた、医療、ライフサイエンスにも非常に重要です。科学や学術レベルでの融合、そして正しい発展を見つけます。強い経済を持つイスラエルも引き付けられました。今日の外国投資にもイスラエルは非常に魅力的です。Google,、Facebookなど、350社のグローバル企業があります。

ティモシー: 誰もがいます。

ベンアリ大使: これら350のグローバル企業のうち、220人はアメリカ人です。非常に多くのヨーロッパ人もおり、今は中国、韓国、日本人が増えています。増加する投資については、2013年時点で日本のイスラエルへの投資は約2000万米ドルでした。今日、4年後、5年後、我々は60億米ドル以上をみています。これは120倍以上です。なので、間違いなく関心が高まっています。すでに約70社の日系企業が事務所を開設しているか、何らかの投資をしています。ほぼすべての日本の大手商社が、イスラエルに事務所設立と何らかの投資をしました。すでに日系企業11社の研究開発センターがあります。イスラエルの経済への日本人の関与が非常に大きくなっているのがわかります。その基本的な考え方は、素晴らしい考えを一つにすると、はるかに大きな影響を産むという事です。両国経済だけでなく、両国が享受できるものです。第三国も享受できますよね?

ティモシー: そうです、日本の総理大臣である安倍晋三と特に仲がよろしいようですが、なぜですか?彼はすぐに日本史上在位年数が最長の首相になるでしょう。ですので、首相と親密であるのは非常に重要です。なぜそれほど親密なのかご存知ですか?

ベンアリ大使: 首相の経済に対する考え方と、強国でいることを重要視していること、日本経済にとってイスラエルとの強い関係を持つ事、ご存知のアベノミクス、両国の首相が互いを訪問したという事実と、両者の相性が強く関連していると思います。

ティモシー: 関係は良好ですよね?

ベンアリ大使: 基本的にはそうです、あれは2度目のイスラエル訪問でした。最初は2015年5月です。そして同年の1月も。それ以前の2014年4月に、ネタニヤフ首相が来日しました。しかしもっと興味深い事に、経団連の大規模な代表団が2014年2月にイスラエルにいらっしゃいました。両国で一緒に何かできないかと。マッチング過程は…

ティモシー: JETROもそこにいましたよね。

ベンアリ大使: えぇ、1997年からです。総括すると、政府間の関係が促進剤となりました。経済的な関心を非常に高めた何かがあり、ビジネスに対して関心が強まっていました。ですので、訪問を通して急速にプロセスが開始しました。安倍首相がもう一度プロセス加速のためにいらっしゃいました。そこでJIINという両国のイノベーション・ネットワークが作られました。イノベーションの問題に関して、両国経済のマッチングを促進するために政府と非政府経済団体が協力するのです。このコラボレーションは面白いと考えています。

ティモシー: 少し話は戻りますが、大使館とイスラエルの日本での存在についてはいかがでしょうか?イスラエルの商工会議所はどのくらい活気に満ちていますか?東京や日本に住むイスラエル人は少ないですよね。

ベンアリ大使: 面白いご質問ですね。でも問題は距離です。

ティモシー:遠いですよね。

ベンアリ大使:残念なことに、相互上陸権で両国が合意したにも関わらず、決して具体化されませんでした。私が来日したかった時も許可がありませんでした。許可された際も、ご存知の通り、実現はしませんでした。私は日本の航空会社とその件について話しています。最後に、直行便がいつできるかという問題です。

ティモシー: 直行便が変化を産むと思われますか?

ベンアリ大使: 確実に変化を産みます。なぜならビジネスパーソンは、実際時間を節約したいのですが、乗り換えに時間が取られます。ある場所から別の場所に移動するために、2日間かかります。4日間も移動に使い、時間を無駄にしています。多すぎます。なので基本的に、いつか直行便を開設します。それにより両国の関係と経済関係が強まります。

ティモシー: 多くの人が自分の国について同じ苦情を持っていますよね。

ベンアリ大使: そうですね、何事も小さな事から始まりますから。そして航空会社は需要がないと言います。両国間を行き来する人の数は、昨年すでに5万人を超えました。お互いの国を訪れているんです。確かに、イスラエル人は日本人がイスラエルに行くより、ずっと頻繁に来日しています。しかし、2018年はさらに多くなるでしょう。6万人を超えるでしょう。

ティモシー: では、観光客数は、イスラエルに行く日本人よりも、来日するイスラエル人が多いのですね。

ベンアリ大使: 人口の25倍です。日本の人口1億2600万人中、2017年にイスラエルを訪れた日本人はわずか18,000人でした。イスラエルの人口は900万人未満ですが、来日する人は2017年で33,000人でしたので、今、訪日客の人数は話題になっています。何年間も、非常に多くのイスラエル人が日本に魅了されています。学校や学界で多くの人が日本語を使い、テレビのアニメで日本語を学ぶこともあります。私たちは、特に私たちの子供世代は、ポケモンなどのアニメ、武道を通してさえ、日本語に親しんでします。イスラエルでは、テルアビブでは、東京以外で一番多く寿司屋があります。日本の文化と美しさは、イスラエル人をずっと魅了し続けていますが、値段が高すぎました。今日ではより実現可能になりました。さらに多くのイスラエル人が各地からやってくるのです。来年は少なくともチャーター便があるでしょう。うまくいけば、もっと増えるでしょう。

ティモシー: このビデオが役に立つといいのですが。駐日イスラエル大使館は、1952年に設立され、今後更にご活躍なさること間違いなしです。またお会いしましょう。