駐日ロシア連邦大使とのインタビュー​

当社のYouTubeシリーズ「Mission Japan」に、ミハイル・ガルージン駐日ロシア連邦大使がお越しくださいました。ロシア連邦と日本の間には長い歴史があり、両国の友好関係やビジネスに至るまで、ロシアと日本のつながりをご紹介いただきました。

インタビューの全文は下記をご覧ください。 (注:インタビュー内の情報は撮影時の2019年上旬のものです。あらかじめご了承ください。)

*日本語の字幕あり

ティモシー・ラングリー(以下「ティモシー」): 皆さん『ミッションジャパン』へお帰りなさい!このシリーズでは、東京にある様々な大使館をご紹介します。本日のゲストは、駐日ロシア連邦大使ミハイル・ガルージン閣下です。ようこそ!

ミハイル・ガルージン大使(以下「ガルージン大使」): ありがとうございます。ご一緒できて光栄です。

ティモシー: お迎えできて光栄です。ロシアと日本には長い歴史がありますね。隣国同士ですし、両国の関係は重要ですね。千島列島(ロシア語名:クリル列島)に関する最近の交渉も大きな話題です。しかし私が最初にお話ししたいのは、両国の関係です。関係の始まりや、飯倉でどのように土地を手にいれられたのか教えていただけますか?

ガルージン大使: 関係の始まり、または日本についての情報が最初にロシアに入ってきたのは、17世紀のことです。中国を訪問する予定で、日本について知っていたロシア人外交官が、その情報を広めました。1人はニコライ・スパファリーさんで、1680年に中国を訪問した人です。日本についての情報を我が国にもたらした最初のロシア人の1人です。

ティモシー: 日本はその頃、鎖国をしていましたよね?外国人が遭難して日本に着いたら、すぐに殺されたでしょう。また面白いことに、 侵略は南から始まったのではなく、ポルトガルなどの国とは異なり、実際は北からだったのですね。

ガルージン大使: 今おっしゃったことは少し後の話です。日本について知っていたロシア人外交官達は、鎖国の時は来日しませんでした。彼らは中国を訪れ、そこで日本について情報を得ました。当時の日本は鎖国状態でしたので、ロシア人は日本に行くことができませんでした。18世紀になると、日本人の漁師や貿易商が何名か嵐や高波などの天候不良で、ロシアの海岸にたどり着きました。

ティモシー: それは北のほうですね。

ガルージン大使: そうです。そこでロシア人に救助され、何名かはロシアに住みはじめました。ロシア人が知らなかった外国人も一緒にいました。ロシア皇帝に謁見もしたのですよ。例えば文献によると、1703年に伝兵衛という日本人が、モスクワでピョートル1世に謁見しました。その後、伝兵衛さんはロシア初の日本語学校を開校しました。これをきっかけに、3世紀以上前のロシアで日本語の勉強が始まりました。そして、有名な日本人作家の井上靖が書いた『おろしや国酔夢譚』に、有名な話があります。1790年に大黒屋光太夫という日本人貿易商、現代でいうビジネスパーソンが、船が嵐に巻き込まれ、高波でロシアに着いたことがありました。ロシアにしばらく住み、エカチェリーナ2世の特命全権大使であるアダム・ラクスマンさんが、大黒屋光太夫と彼と一緒にいたもう1人の日本人を1792年に北海道の根室に送り届け、日本との国交樹立をはかりました。しかし当時、日本人2人を日本へ連れて行けたものの、日本政府の方針で国交は樹立できませんでした。最終的に、両国は1855年に正式に国交樹立しました。ロシア皇帝ニコラス1世の特命全権大使プチャーチン提督が静岡県の下田で署名しました。日本で最初のロシアを代表する施設は1858年に函館に設立されました。当時は領事館で、ヨシフ・ゴシケーヴィチさんがロシア代表団のリーダーでした。彼はプチャーチン提督の使節のメンバーでした。それが関係の始まりで、ロシアの外交代表団(最初の領事館のメンバー)が1870年に東京に到着し、外交をするために大使館を建てようと、土地の購入を試みました。

ティモシー: 江戸にですか?

ガルージン大使: 東京だと思います。1868年に東京に変わりましたから。そして、霞ヶ関エリアにある日本政府から土地をもらったようです。100%正しいかわかりませんが、最初のロシア大使館は、現在財務省がある位置にあったようです。日本政府が日本政府関連の施設をそのエリアに建設しようとしていたためです。ソビエト大使館は港区麻布台の土地を手に入れ、そこは現在私たちの住居です。覚えてる限りでは、当時は4階建ての建物でした。

ティモシー: 港区の東京タワーのあたりですか?

ガルージン大使: そうです。その時から、施設・土地・建物はソビエト連邦(現在のロシア連邦)の外交施設です。現在の建物は1970年中頃のものです。建物は2棟あり、一つはオフィスで、もう一つは職員用住居です。レセプションホールもあり、会議室を備えたクラブもあります。また、大使館職員や東京都在住のロシア人の子供向けに、本格的な高校もあります。他にも、領事館のスペースがあり、バレーボールなどができる小さなスポーツ施設、フットボール用の小さなコートとプールがあります。

ティモシー: それは素晴らしいですね。土地についてお伺いしてもよろしいですか?最初の霞ヶ関の土地は、購入されたのか政府から借りていたのか、ご存知ですか?

ガルージン大使: 当時、日本政府から土地をもらい、外交官のオフィスと住居スペースとして2階建ての建物を建てました。

ティモシー: そして、霞ヶ関が大規模な工事に入り、建物をみつけるか、日本政府が現在みなさんがいらっしゃる、東京タワー付近の建物を紹介したのですよね。

ガルージン大使: 私の知る限り、当時の日本政府から土地を紹介されました。代表団と日本との関係を発展する必要があったので、私たちは満足していました。その少し後に、日本政府がその土地をソビエト連邦のものだと決めたようです。

ティモシー: 土地が贈られたのか、またはモスクワなどの土地と交換があったのか…

ガルージン大使: 土地の贈呈や交換はなかったと思います。普通に日本政府が、土地を外国の大使館のものだと認めたのではないかと私は思います。ソビエト連邦も含めてです。普遍的な決断と言いましょうか。

ティモシー: わかりました。大使館ができた当初、とても素敵な建物がありましたね。何十年も建っていたロシア式建築だと思いますが。

ガルージン大使: ありました。詳しくはわかりませんが、知っている限りでは、1930年初頭から1960年中頃にありました。そして、地震などで損傷があり、当時のソビエト政府が新しい建物を大使館とスタッフのために建てたのです。それが現在の建物です。

ティモシー: そこは住居でもあるんですよね?

ガルージン大使: 私の住まいも大使館内です。

ティモシー: 皮肉なことに大使館は、東京アメリカンクラブのすぐ近くに長い間ありますね。そしてその土地は、外務大臣について先ほど話していたのですが、当初は(外務大臣の)河野家の持ち物だったんです。

ガルージン大使: 本当ですか?知りませんでした。

ティモシー: 少し話がそれてすみません、けれど、そこは最初に日本外国特派員協会があった場所で、その後、確か丸の内エリアにあった東京アメリカンクラブが移ってきました。深い歴史があります。けれども、アメリカ人とロシア人が隣人同士なのは皮肉ですね。

ガルージン大使: 良き隣人同士ですよ。

ティモシー: もちろん、でもロシア大使館はアメリカンクラブには加入なさってないでしょう?

ガルージン大使: えぇ、ロシア大使がアメリカンクラブに入るべきかわかりませんね。

ティモシー: どこかくつろげる場所がほしいとお思いになりませんか?

ガルージン大使: 東京にはたくさんありますよ。私がメンバーになっているところが!

ティモシー: 土地についてもう1つとても面白いのは、飯倉交差点と飯倉公館に挟まれていることです。大音量のスピーカーを載せたトラックが通りますよね。大使館があるので、大声で騒動を起こすためだけに通りますが。交差点は時々封鎖されるので、大きな騒ぎになりますが、これはよくあることですよね?私ならイラっとしてしまうでしょう。

ガルージン大使: 場合によりますね。例えば、日本の右翼団体や急進団体の活動が、頻繁に起きた時期もありました。今では、私が見てきた中で、例えば私が初めて大使館の職員として来日した36年前に比べると、今はとても少ない方です。しかし時々、右翼団体は活動をしています。彼らの意見にはもちろん反対です。そして道路が閉鎖されるのも好ましくないと感じます。ロシア大使館だけでなく、周辺住民の方も困っているはずです。日本人も含めてです。外国人もこのようなことが起きて、困っていると思います。

ティモシー: もしよろしければ、少しだけお聞きしたいのですが。経歴を拝見したところ、大学卒業後すぐに外務省にお入りになり、最初の勤務地が東京だったのですね。22歳の頃でしたか?

ガルージン大使: 23歳でした。

ティモシー: すごいことですよ、キャリア組ですよ。3つの勤務地に行かれて、これが3つめの任務となりますね。おめでとうございます!

ガルージン大使: ありがとうございます。

ティモシー: 日本に長く住む外国人として、また日本人にとっても、閣下の地域やテレビでのご活躍を拝見すると、本当に素晴らしいお仕事をなさっている印象があります。千島列島(ロシア語名:クリル列島)に関しても、プーチン大統領と安倍首相は比較的良好な関係を築いています。過去数年で23回以上会っています。

ガルージン大使: 正確には25回。

ティモシー: 公開された交渉を何度か経て何かしらの合意にたどり着くと思われました。「あなた方が、それか私たちがこの2つをもらうのでどうですか?」という感じにです。しかしまた行き詰まっているようで、一時は少しうまくいくと思われましたが、また厳しくなりましたね。現在の状況と、今後の見通しについて、少しお聞かせ願います。

ガルージン大使: まず最初にティモシーさん、私たちが日本側のパートナーと話し合っているのは、『千島列島(ロシア語名:クリル列島)』についてではなく『平和条約に関する問題』についてです。話題は広範囲に及びます。

ティモシー:平和条約が締結されていないのは驚きです。それが何を意味するか、多くの方はわからないかもしれませんが、重要な事です。

ガルージン大使:平和条約がないからといって、ロシアと日本が戦争状態にあるわけでは決してありません。戦争は1956年に、ソビエト連邦と日本が共同宣言を出した際に終結しています。そして両国は、平和と外交関係を再構築し始めました。また、両国が平和条約について交渉し続け、条約締結をすることを明記しました。それが起点となり、それ以降は長い話し合いが行われました。そしてついに、時間の関係で詳しくはお伝えできませんが、去年11月にシンガポールで行われた東アジアサミットに合わせて、ウラジーミル・プーチン大統領と安倍晋三首相が、両国の共同宣言に基づき平和条約に関する交渉を加速させることに合意しました。よく共同宣言と領土に関する事を等しいことだと考え、共同宣言に基づき色丹島と歯舞群島は日本にきっと渡る、とおっしゃる方々もいます。しかし大事なことに気づいていただきたいのです。最初に、共同宣言に基づいて、平和条約に関する交渉を加速すると仮定した場合、そして共同宣言に基づき、両国間のさらなる関係促進について広範囲で話し合うと仮定した場合、領土に関してあれこれ書いてある1つだけの条項に集中するべきではありません。例えば、共同宣言にある『ロシアと日本は友好関係そして隣人関係にある』という条項を常に心に留めておくべきだと思います。それが両国の関係の起点です。どういうことかというと、安倍首相と去年1月にモスクワで行われたの交渉後平和条約に関して、どちらも納得できる解決策を見つけるための環境づくりに両国が励まなければならないとプーチン大統領は記者会見で語りました。ロシアと日本のどちらの人々も支持できる解決策の模索です。これが任務です。ざっくり言うと、例えば、クリミア問題に関する間違った認識に基づいて、アメリカ合衆国が行う根拠のない反ロシアの制裁措置に日本が参加することは、共同宣言にある友好的で隣人のような関係とは離れています。なので共同宣言について話す時、文中からかいつまんで話すより、全体を見なければいけないのです。それが、注意してこの文書を正確に読めば、色丹島と歯舞群島の引渡しは平和条約を締結した後の話だとわかる理由です。ですので、まず最初は平和条約の締結です。これが最初です。次に、平和条約やその後の関係についての対話です。これは両国の関係の成長に関する対話です。両国間の少なくとも3つ、または複数の問題を解決するために必要です。最初に、千島列島(ロシア語名:クリル列島)でのロシアの主権を含む第二次世界大戦の結果を、日本が認識することです。これは、我々が言うような条件ではありません。現代の国際関係の常識です。なぜならそれは、第二次世界大戦の結果、法的地位を認め合法化した国連憲章で成文化された国際的な関係に基づいているからです。それが最初です。2つ目に、日米同盟に関する私たちの不安も解決されるべきです。これに関しては多くの疑問があります。3つめに、ロシアと日本の関係は質的に向上するべきです。両国の関係には大きな可能性があるからです。例えば、現在私たちの貿易額は200億米ドルで良好です。去年より20%上がりましたが、例えば20年前と比べると低いほうです。当時は300億米ドルでした。まだまだ貿易額が増える可能性があります。そこがポイントですね。

ティモシー: えぇ、この事について知った皆さんは、可能性の大きさにただただ驚いているでしょう。関係はただ膠着していて、スムーズでないだけです。人間レベルで起こるべき結束が基本であることについて、完全に同意します。モスクワで起きた列島の帰還についての議論に関する抗議には、本当に驚きました。両国の人々が同じように反対していましたから。これから起きるべきことはまだまだあります。ここで、両国の貿易フローや日本で働く数少ないロシア人、ロシアで製造業などに携わる日本人について、少しお話ししましょうか。両国のサイズに対しては、あるべき姿ではないのかと思われます。

ガルージン大使: そうですね、ティモシーさん。しかし、私が間違ってなければ、両国の『列島に関する問題』の交渉を巡ってロシアで起きた反対運動には驚いたとおっしゃいましたよね?私たちは平和条約について交渉しているのです。けれども、両国の平和条約の問題の始まりは、第二次世界大戦の結果です。あなたの国(アメリカ)と私の国は当時同盟を組んでいて、ナチスドイツとその仲間を相手に戦いました。残念ながら日本はナチス側でしたが。もちろん、ここでの日本は現代の日本ではなく、過去の日本です。1930-1940年頃の日本です。ロシア社会とロシア人にとって、第二次世界大戦の結果としてソビエト連邦とアメリカ、イギリスの合意に沿ってロシアが手に入れた千島列島の主権は、ナチスドイツとその同盟国を相手にロシアが4年間戦った大規模な戦争の一部です。最近の推定では、その戦争で2700万人の命が失われたとわかりました。ですので、ロシア社会はこの件に関してとても敏感です。

ティモシー: 私が驚いた理由はきっと、人的要素に私があまり気づかなかったからで、また、メディアがあまり取り上げていないからかもしれません。けれども私は、列島に対する熱意に気づきました。そしておっしゃったように、多くの人が戦争で亡くなったことを、人々は忘れられないですから。

ガルージン大使: そして貿易について、最初に、ロシアは貿易相手としてとても信頼がおけることを強調しておきます。複数の国が反対しているので難しくなっていますが、ロシアのヨーロッパ向けの天然ガス輸出に関して、よく聞いていらっしゃると思います。私たちは、戦略的に重要なエネルギー供給が可能である信頼のおける国です。ヨーロッパだけでなくアジア太平洋にもです。例えば、日本で使われるLNGプラントの9-10%は、ロシアにある樺太(ロシア語名:サハリン)の南方からきています。ですので、まず、ロシアは日本にとって信頼できる貿易相手であることを強調しておきます。そしてさらに両国の利になる貿易を行いたいです。LNGだけでなく原油やアルミニウム、たくさんのミネラルやダイヤモンド、材木や石炭なども日本に輸出しています。両国の貿易と企業投資におけるさらなる進展には、多くの可能性があります。例えば、220社以上の日系企業がロシアのいたるところにオフィスを構えています。モスクワ、サンクトペテルブルク、ウラジオストク、ハバロフスクなどにです。また私たちは新しいビジネス企画も立ち上げています。例えばマツダは、日本で組み立てられる車用エンジンを製造する工場をウラジオストクに新たに建設しました。イノベーションの分野も含め、両国のためになるビジネスの可能性は多くあります。例えば、数週間前に東京で、ロシアの戦略的イニシアチブエージェンシーという、プーチン大統領の元で活動し、主にロシアの産業界にイノベーションを根付かせる取り組みをしているNGOが、JEティモシーRO(日本貿易振興機構)と共に東京で数週間前にとても面白いセミナーを開催しました。セミナーを通して両国の利になる協力のための素晴らしい将来性が見えました。

ティモシー: でもそこで終わりではありませんよね。2019年は『文化交流の年』をされていますし、両国の間には、2つの文化の融合やシェアのための活動がたくさんあります。

ガルージン大使: その通りです。しかし文化交流だけでなく、広範囲に渡ります。おっしゃっていたプロジェクトは、正式には『ロシアと日本の交流年』と言います。文化や観光、科学や技術、経済協力、そして軍事交流なども含まれます。そしてこの交流プログラムは、歴史的なボリジョイ劇場のステージでプーチン大統領と安倍首相によって去年5月にモスクワで始まり、日本の伝統文化のパフォーマンスもボリジョイ劇場のステージで、去年5月26日にモスクワで披露されました。今年は合計で400件以上のイベントが、このプログラムに入っています。また、例えばロシア・ナショナル管弦楽団とマリインスキー劇場、日本からの多くの歌舞伎劇場、そして有名な音楽家やアーティストが、それぞれロシアと日本で公演をしました。そして、両国の大学の学長向けフォーラムも、去年5月に札幌で開かれました。私がお話しした東京でのイノベーションフォーラムは、このプログラムの一つです。今後も興味深いプログラムが行われる予定です。

ティモシー: 大統領は東京を訪問なさる予定ですか?

ガルージン大使: それは現在日本側と協議中です。大阪で行われるG20サミットと合わせてプーチン大統領が来日する6月末に、日本で行われる『ロシアと日本の交流年』プログラムの閉会式が成功することを祈っています。

ティモシー: 本日はありがとうございました。

ガルージン大使: こちらこそありがとうございました。

ティモシー: ロシアと日本の関係について魅力的なお話でした。両国の深い関わりと今後の展望が見えてきました。これからも目が離せません。またどうぞご覧ください!